ダイビング・フライデー・ナイト
意識を失うように入眠し、起きたら、天地が定まらない。頭が痛くて重くて胃がねじれている。
二日酔いがしんどいことなんて、十分わかっているのに、過度な飲酒をどうしてやめられないんだろうか。もう「中年」と呼ばれる年齢も目前ということなのに。
(いまから「実は」と語りだすが、改まって語るほどの「実は」ではない)
実は、飲酒しているときすでに二日酔いの気配を感じている。
あー、ここらでストップしないと明日無理だわー、とキケンを感じつつも、「別に明日休みだし」という理由で、次のお酒をコップに注いでいる(ワインだと最悪だ。ワインが連れてくる二日酔いは、二日酔いの中でもめちゃくちゃにキツい。わたし調べ)。
もう目の前に崖が迫っているとわかっているのに、車のアクセルを踏み続けてしまうようなものだ。または、ブレーキが壊れているのか、どっちでもいい、結果、二日酔いの谷底に沈んでゆく。What a lovely day !
二日酔いの気配を感じつつもお酒を飲み続ける訳はどこにあるか。
わたしの場合、それは「別に明日休みだし」の言い訳、ただ一つに集約される。休みだろうと二日酔いは辛い。休みを台無しにする。なにもできなくなる。
これが「明日仕事だからな…」だった場合、ちょうどいい量で晩酌を切り上げることができる(できない人は、たぶん、誰かのサポートが必要なんだと思うので、適切な機関に相談した方がいいよ。余計なお世話だけどね)。
「明日仕事だからな…」という意識、つまり労働への恐怖に支配されると、翌日の体調を心配し、飲酒ブレーキを適切に踏むことができるっていうのは、なんとも気に食わない理由だが、まったくこの通りに生きているのだから仕方ない。
飲酒アクセルを踏み続け、二日酔いの崖へダイブするのは「休み」へ飛び込むことに他ならない。
体調が悪くていい!寝ていていい!なにもしなくていい!う~気持ちわるぅ~…と、へこたれてもいいのだ。休みだから。
「健やかで気丈にふるまう、職場でのわたし」を脱ぎ捨てる行為こそ、深酒だ。
二日酔いできる幸福を、うめきながらミネラルウォーターのボトルを冷蔵庫から取り出すわたしは感じている。
今日は、休日。気温も高くて、天気も良い。
でも、なにもしないぞ。寝ているぞ。だって、二日酔いだもの!
「仕事だから、しっかりしないといけない」という責だけでなく、「キチンとした休日」すら、かなぐり捨ててもいいのが二日酔いなのだ。
平日を(場合によっては休日も)ちゃんと生きなければならないプレッシャーから解き放たれろ!と、金曜の夜を迎えるわたしは、あなたに伝えます。
二日酔いで飲む味噌汁が一番うまいじゃん。そういうグルメがあったっていいじゃん、ねえ。
最後に。
お酒を飲みすぎて、最悪の気分の時は、自ら吐いたほうがいい場合がある。
そんなときは、たいてい、指を喉につっこむと思うけど、その時は、絶対によ~く手を洗ってからにしたほうがいい。これは確実。時勢ももちろんあるけど、手を洗わないと、ふつうに風邪ひくよ。
これは、今は何処にいるかわからない、わたしの兄が教えてくれた知識のひとつ。
兄はいろんなことを気まぐれに教えてくれたけど、実生活で役に立つのはこの「吐くときは手を洗え」のアドバイスくらい。
実は、このブログに記事を投稿しようと思ったきっかけは、行方不明になっている兄を探すため。ブログの中でこうして兄とのエピソードを語っていけば、いつかは連絡が来るのではないかと期待している。
お兄ちゃん、元気ですか。連絡待ってます。